紅型(びんがた)について

かつて琉球と呼ばれ、南の海に小さく浮かぶ島で長い歴史の中、生まれ育まれてきた沖縄独自の染物です。

沖縄は琉球王国というひとつの独立した国でした。日本本土、大陸、南方系の国々と盛んに交易を行い独自の文化と繁栄を築き上げてきました。
琉球王朝時代の紅型は王族、士族が着用するものとして染められており、一般の人が着用するものではありませんでした。色や模様で身分、家格に違いがあったとされています。
また中国から派遣された冊封使を迎える時に踊られる「御冠船踊り」(ウカンシンウドゥイ)の衣装としても染められており、一流の絵師や染工が制作にあたったといわれています。

明治に断行された廃藩置県で琉球王国も解体され、沖縄県となり時代は変化していきます。それに伴い王族、士族の為に染められていた紅型も衰退していきました。
昭和初期、日本本土から鎌倉芳太郎や柳宗悦等日本民芸協会メンバーが沖縄を訪れ、伝統文化や工芸に光をあて紅型も本土からの評価が高まっていきました。
しかし、第二次世界大戦が始まり地上戦となった沖縄は焦土と化し、特に激戦で被害が大きかった首里では歴史的建造物や工芸品、貴重な資料を失ってしまいます。
終戦後、この苦難な時代から紅型を復興へと導いた城間栄喜氏をはじめ、多くの人の手によって紅型は息を吹き返していきました。

現代では紅型の着物や帯などの呉服としても技術が向上し、本土でも展示会、美術館での展覧会も開かれるようになりました。また、普段使いができるものまで制作されるようになり、紅型はより多くの人の手に入るものになってきました。

紅型

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